イスラエル布教活動日記

2005年8月11日

ドーゲンサンガ京都

宮本一郎

 大変報告が遅くなりました。すでに老師が概要を述べておられていますので私は日記風に私の眼から観た出来事を報告したいと思いました。ところが文章力の無さが災いし、遅々として進みません。更に帰国後、私の周囲の動きが激しかったのでそちらを優先的に処理しましたので、約半年経って漸く完成できました。

布教活動の写真集を日にち順に既にHPに公開していますのでそれを参照して読んで頂ければ雰囲気がより把握できるかと思います。

 旅行の目的

 西嶋老師が書かれた英語本「To Meet The Real Dragon」をEli氏とSharon氏とYuval氏がヘブライ語に訳し、Habar氏が編集してイスラエルにて発刊しました。その発刊記念イベントに老師が出席されるのが目的です。これに付随して正しい仏道を伝えるために接心2日、大学での複数回の講義やインタビューが滞在スケジュールの中に組み込まれました。

 受け入れ側の体制は編集者のHabar氏が企画立案交渉し、著者のYuval氏が実行の中核として推進をして頂き、Audrey Messas Kaplan(眼科女医)、Dan Alon(銀行勤務)、

Alon Kedem(指圧師)、Alon Mark(大学生)、Chen Dekel(大学生)、他にも多くの方々が宿舎や交通の支援をして下さいました。

 

2月13日(日曜日)

  今回のスケジュールが決まったのは渡航1週間前でした。前回(4年前)老師がイスラエルに行かれた時に中核としてお世話をされたニシム氏が老師とは異なる独自の路線を進めておられたので、今回は共同著者のYuval氏が主体になって進められました。当初、老師と泰純さんは前回宿舎を提供されたGeisler邸とYuval宅にお世話になられ、その他の随行者(EliSharone、優、私の4名)はホテル宿泊となっておりました。

ところが直近になって、Geisler邸に宿泊した場合、足の便が確保できない可能性があることが判り、最終的に老師と泰純さんは全日程Yuval宅にお世話になり、優さんがAudrey宅へ、私はAlon Kedem(指圧師)宅へ、EliSharoneは実家に帰ったりホテルを利用することになりました。

 宿泊を提供して頂く方に対して老師は手土産(竹篭に入った急須セット)を用意されていましたが、優さんと私は手土産を用意できておらず、急ぎ本八幡駅前の陶器屋に行き急須セットを買い求めました。

 同日道場にて「有志の会」の会合が行われており、私も出席させて頂きました。「有志の会」はドーゲンサンガニュースを作成する有志の方々が集う会で、ドーゲンサンガの活動報告や今後の予定等が話し合われ、実際に刷り上ったドーゲンサンガニュースを綴じて完成させられます。実際に編集から印刷、綴りと作られている現実を目の前に拝見して、「有志の会」の皆様の大変な労力をかけたご努力が発行を支えておられることを知り、あえてこの内容を書くことに致しました。

 この席上、老師から道場の運営のやり方を変える考えであること。泰純さんから「今後の経済的自立を行うため、週のうち半分を外に働きに出ることを考えている。」との表明がありました。老師からは「泰純さんのこの様な対応が果たして良い結果を生むかと言うことを良く考えなければならない。」とのコメントが出されました。この問題については旅行の最終日までに結論がでます。

 

2月14日(月曜日)

 日本からイスラエルへ行く直行便は無いので、どこかの国を経由(1泊)して乗り継いでいかなければなりません。泰純さんが安い航空機を探したらオーストリア航空で、ウイーン(WIEN:良く判りませんがドイツ語読みです。英語ではVIENNA:ビエナです。以後ビエナとします。)経由になりました。ところが直前になって帰りに予定していた便が飛ばないことになりビエナで2泊せざるを得なくなりました。帰りの飛行機が満席であったことから推測して、当初予定していた便の搭乗率が悪い為、航空機会社がドタキャンしたと考えられます。

 11:35成田を定刻に離陸しました。私の席は四人席ですが2席は空席です。老師に座って頂いたら横になって貰えると思ったのですが、なんとこのエアバス機は隣の席との仕切りが固定式なのです。客の利便性を犠牲にした設計思想にチョッピリ憤慨しました。

13時間のフライトなのでエコノミー症候群に注意が必要です。大城さんにお願いして買って貰っていた乾燥梅干を老師に食べて頂きました。

又、後で知ったことですが、この機内で今後の泰純さんの身の振り方について老師と泰純さんが話し合われて、泰純さんが道場と外部との2足のワラジを履く事は先方の心情を考慮した場合好ましくないとの理由から道場を出るとの結論になったようです。

ビエナには16:30に到着しました。日本との時差は8時間遅れ、体内時計は深夜の12時です。入国審査や税関もフリーパス状態です。但し、聞こえてくる言葉はドイツ語。オーストリアの首都であるのに妙にこじんまりとした空港で、空は暗く、雪が寒々と降っていましたので、経済活動が停滞しているような寂しい印象を受けました。ホテルに直行し老師と同じ部屋で宿泊しました。

 

2月15日(火曜日)

  四時間ほど寝て眼が覚めてしまいました。体内時計は朝の9時(現地時間深夜1:00)なので眠れません。これからしばらくは時差との戦いが始まります。老師は既に起き出されて、荷物の整理や体操をしておられます。ラジオ体操とは違う独特の体操です。「老師、珍しい動きですね。」「うん、陸上をやっていた時の準備運動なんだ。」これも老師の健康管理の秘訣かもわかりません。

  老師はベットの上で坐禅を始められようとされます。私もソファーのマットレスを引き剥がしカーペットの上に急ごしらえの坐蒲を作り準備OKです。老師から「45分にしましょうか?」「はい。」

坐禅を終わっても朝食の7:00までまだ2時間もあります。老師はもう一眠り。私は朝風呂とシャレ込みました。

  飛行機は10:40発ですが早めの8:00にホテルを出発しました。この日は私に小さなトラブルが多く発生します。

空港カウンターに行くと私のスーツケースだけ50mほど離れた別のカウンターまで運べと言われました。、暇そうに従業員同士で話しているので話しかけると「私は今話しているところなので他の窓口に言ってくれ。」と非難する眼で拒否され、「お客を大事にしないオーストリヤ航空は成長しないぞ。」と心の中で悪態をつきながら別のカウンターへ、漸く順番が来てスーツケースを渡すと「何で?」という顔をする。「向こうのカウンターでココへ持って行けと言われた。」と言うと。「OK。」と言って引き取った。何か調べるのかなと見ていると直にコンベアーへ、何の為にワザワザここへ運んだのか理解できません。どうも新米従業員に当たり、間違った案内をされたようです。

更にイスラエル行きの搭乗ゲート前にだけテロ対策として厳重な口頭審査が行わます。老師はスンナリと通過されましたが私の場合は「英語を少ししか話せない。」と言うと「会話が充分に出来ないのにどうしてイスラエルに行くんだ。」と突っ込んできます。優さんが「私が通訳します。」と言ったら、彼女が先に審査されことになり私は元に戻されました。  

優さんがOKになってから私が呼ばれ、審査官が発した私への質問に優さんが答えようとしたら、「彼に聞いているのだから、彼に通訳して彼に答えさせろ。」とガチガチ形式主義の官僚丸出しです。「どこで荷作りをしたのか。」「友達から貰った物が入っていないか。」「電気機器を持ち込んでないか。」と矢継ぎ早に質問をします。漸く審査に合格し搭乗できました。

  約三時間のフライトでテルアビブ空港に到着。ここの入国審査は厳重です。EliSharoneは国内人だから簡単に通過しました。我々は外国人なので長い行列に並ばなければなりませんでした。審査応答に問題点があると別の係官が呼ばれどこかへ連れて行かれます。最低でも5分/人かかるので1時間以上立ったまま順番待ちをしました。幸い「グループで入国する」と言うと「皆を呼べ」と言われて、優さんが要領良くスケジュール表を見せて説明し、比較的早く納得してもらって通過できました。

  税関出口には5〜6名の方が出迎えに来て頂いていました。空港で両替を済まし、夫々の宿泊先の方の車に乗せて頂いて宿舎に向かいました。私はAlon Kedem(指圧師)氏の日本製スバルに同乗させて貰い、色々とお話しをしながら彼のマンションを目指しました。

  彼はお酒を飲むし、鮨や天ぷらの日本料理が好きで、豆腐や味噌の日本食材の店も有ると言う。それなら毎晩日本料理を作ってあげるから楽しく盛り上がろうと、意気投合しておりました。

ところが携帯電話が鳴りました。後から判ったことですが計画変更の連絡だったようです。直接彼の家に行くのかと思ったら。「スーツケースを車に残して付いて来て。」と老師の泊まられるYuval氏のマンションに連れて行かれました。既に老師達は到着しておられました。

  そこで泰純さんから「私の代わりに老師とここに泊まって貰えないか?」と突然の申し出です。「エ!何で?」事情を聞くと、部屋は分かれてますが、ドアの無い続き部屋で、バス、トイレ、洗面が老師の部屋にしか無く、老師のベッドと、この水周りがビョウブ風の障子が置かれた簡易仕切りで区分されており、いくら師弟と言えども共同生活が難しいとのことでした。

ですが、泰純さんの提案は老師のお世話を私にするようにと言われているのと同じことなので、自分のことすら満足に出来ていない私が一緒にいても、老師に迷惑をかけるだけと考え、承諾しかねておりました。

老師が「良いですよ。私は一人で泊まれるから。」と言われたので、既に泰純さんが泊まらないことを老師が了解済みで、私がここに泊まるかどうかだけの問題だと判りましたので「イヤ、老師を一人ではお泊めできません。」と私が同宿することになりました。

早速、Alon の車に戻りスーツケースを受取り、マンションに向う途中に「Alon!!」と声が掛か借りました。声が黄色ぽかったのと薄暗かったので近づいて来たのは女の子と思いましたが、その後から一緒に来た女性が「Audreyです。」と挨拶されたので、彼女の12歳になる息子で数学の天才だと判りました。この年で大学の数学をやっているとの事。人類の進歩はこれらの優秀な頭脳から出て来るのであろうか。と彼の顔をながめながら、一人感心しておりました。

しばらくすると、テルアビブ大学学部長のヤコブ・ラツツ(Jacob Raz)教授が老師を表敬訪問しにこられました(写真参照)。教授は岩波新書の「やくざ」に関する本や、自分自身で奥の細道を踏破した記録を日本の書店から出版されておられる親日家です。30分程老師とお二人でご歓談されました。

夕食はイタリヤレストランへ、お世話頂くスタッフの人達との自己紹介を兼ねた交歓会でした。日本の感覚ではパスタにしても二人前の量が出てきます。この分では太ることを覚悟しなければなりませんし、老師の血糖値が上がらないかとチョッピリ心配でもありました。

 

2月16日(水曜日)

am4:00に眼が覚めました。老師は既に起きておられました。「ムー、何だ!!。」寝た時には無かった羽毛掛蒲団がかかっています。「ヒョットして・・・・?」思った通り、老師が夜中にご自分の掛け布団を私に掛けて頂いた様です。アリガタイやら申し訳無いやら。

初日から老師にご迷惑をかけてしまいました。老師にお礼を申し上げると、「少し涼しかったので、風邪でも引いてはと思ってね。」と老師は微笑んでおられました。老師のお世話をするために同宿させて頂いているのに、お世話されてしまいました。

それから坐禅40分。7:00にYuvalが来て、朝食を作ってくれました。あの付き添いの中年男では料理なんか作れないだろうと思ったのかも知れません。

彼が料理を作り始めたのを最初はボーと見ていたのですが、「何か手伝わなければ悪いなあ。」と気持ちが作業モードに切り替わりました。彼の指示に従い、お手伝いです。スクランブルエッグにトーストにチーズ、野菜サラダ、オレンジジュースに各種ピクルス。と結構豪華な朝食です。食べ終わると、ベランダに出てハーブの葉を千切って来てハーブテイを作ってくれました。

スケジュールでは本日は時差ぼけ解消の為の休息日です。老師は前回にエルサレムに行かれているので休息され(と言っても明日以降の準備をされると思いますが。)、泰純さんが残り、私と優さんがエルサレムに行くことになりました。

ところが次々と電話がかかり、インタビューや写真撮影の申し込みが次々と入りだしました。結局本日は老師は雑誌のインタビューが行われることに成りました。

  Yuvalはインターネットを常時接続していたので、老師の健康面やイスラエルの治安を関係の方々が心配されていると思い、ドウゲンサンガのメンバーへe―メールで状況をお知らせしようとしました。ところが私のアドレスを開くと日本語表示が出てきてメールの内容もチェックできるのですが、OSが日本語版windowsではないので、日本語での書込みが出来ません。仕方が無いので拙い英語でスペルもいい加減な内容ですが、出さないより良いだろうとメールを発信しました。これ以降インターネットのお陰で日本の情報はリアルタイムに入手出来き、浦島太郎にならずに済みました。

  老師と一緒に居ますと多くの事柄について質問が出来ます。ライブドアの日本放送を子会社化するニュースについても、「バブル崩壊で外国資本が儲けたんだから、その資金を使ってやっていること。」と明確です。「この成否は流動的だが国際的な対応が出来るかどうかが今後の日本の進歩に影響する。」とのご意見でした。

又、具体事例を挙げて人間の器について質問した時も、「自分のことを中心に物事を解釈したり、対応をするとその人物のスケールが小さくなってしまう。」と私には胸にズシンとくる、耳に痛いご回答でした。

結局自分の取った行動が他人から評価され、自分に帰ってくる。この理屈は判っていても、自分という壁を自分で越えることが実際に出来なかったら、成長することは難しい。

要はそのように行動できること。と大きな宿題を頂いてしまいました。

  ここでイスラエルの状況をお話しましょう。人口は600万人、98%の人がユダヤ教。面積の約50%が砂漠で、空気が砂っぽい。2月にも関わらず日本の春先の陽気で、道にはオレンジがタワワに実っています。自由に取って良いそうです。なんと道徳心が有る国民なのだろうと思っていたのですが、食べてみると外観はオレンジそっくりなのですが中身はスッパイ夏みかんです。「これではよほど困っていなかったら食べないなあ。」と納得です。人々はテロとの準戦闘態勢にあるので常に苛立っているとのこと。18歳から男子3年、女子2年の徴兵制度が実施されているので成人は何らかの兵役の経験があるそうです。

しかし兵士がテロに対抗する為自動ライフルをもって通勤していることや、スーパーやレストランで入場者のバッグの中身をチェックするためのガードマンが居ることを除けば個人の家は観葉植物やレモンやオレンジが植えられたのどかな環境でした。多分我々の宿舎が安全で環境の良い地域のYuvalのマンションだったのがそのような印象を与えたのでしょう。

ただ、車は日本車が多いのですがスバルとマツダが多く、トヨタはメッタにお目にかかれません。又、砂ぼこりが多いためでしょうかピカピカの車にもお目にかかれません。夏の温度と紫外線が強い為か車内のプラスチック部品が白化現象を起こしているのが目に付きます。

夕食後、老師の足のマッサージでむくみがひどいことが判りました。ビエナ以来老師はほとんど歩かれずにおられ、我々も予定外の変更等でその対応に気が取られていて、ミスってしまっておりました。明日からは老師にしっかりと歩いて頂かねば・・・・・。

 

2月17日(木曜日)

 8:00前に嘗て道場に3ヶ月ほど滞在されおられ、仏道とユダヤ教との比較が専門の

ヨアヴ・エルシュタイン教授 (Yoav Elstein)(バー・イラン大学・学部長)が老師を表敬訪問され(写真参照)、我々と一緒に朝食を食べながらご懇談されました。 

午前中は自由時間なので老師に歩いて頂く為、近くの公園とスーパーマーケットに散歩に出かけました。公園では熟したオリーブの実が地上に落ちています。試しに樹になっている熟していそうな1つを食べてみましたが。「ニガ!!。」思わず吐き出してしまいました。熟しているのに美味しくない。オリーブを塩漬けにしているのはこの苦さをマスキングするためと理解できました。

スーパーマーケットでは老師と泰純さんは僧侶のいでたちであるので目立つてしまい、我々に(お前達は何者だ?と問いたげな)視線が注がれます。老師はスリッパのお買い上げでした。

Yuvalのマンションはテルアビブの郊外の住宅地にありますので、本日の出版記念イベントが行われるテルアビブ市内へ16:00頃に出発です。乗っていった車は市内の裏路地に路上駐車をしました。

イベント会場は道路に面した軽食食堂の奥の80席ほどのライブハウスです。イスラエルでは女性のヘソ出しルックがはやっています。ここのウエイトレスは下腹の出たヘソにリングをしていました。記念に一緒に2ショットさせて貰いたかったけど、気後れがして言い出せませんでした。

夕食のサンドイッチを食べていたら、防護服を身に着けた男性が入ってきて何かを言っています。皆がゾロゾロと奥のライブハウスの方へ移動し始めました。私も促されて移動しました。どうも持ち主不明の荷物が路上に放置されていたため、爆弾の可能性があるので奥へ非難しろと言ったようです。でもチットモ緊迫感が感じられない皆の反応で、日常茶飯事のことでなれきっているようでした。

 老師はハガー(Hagar Yanai)とイベント前の打合せをしておられます。多分久しぶりに体面されるので四方山話に花が咲いていたのかも知れません。彼女はイスラエルで有名な美人ジャーナリストです。10年以上前に日本に来て道場に住んでいたので老師とは旧知の仲です。日本で経験したことをイスラエルで本に書いて有名になったとのこと。「日本に居た頃はポッチャリとしたかわいい娘だったが、美人になっているので驚いたよ。」とは老師の再会時の感想でした。

19:00からイベントが始まりましたが、会場は満員で立ち見まで出る状態です。90名前後の聴衆が集まりました(複数の写真参照)。彼女が質問者となって老師から坐禅や仏道に対する回答を聞きだします。彼女の質問は聴衆が聞きたがっている事を突っ込んで質問してきます。聞いていて「さすが一流のジャーナリストだなあ。」と感心していました。  

イベントが終わってから老師に「彼女の質問内容は鋭くて的を得てましたね。」と申し上げると、「打ち合わせの時に、過激な質問をして欲しいと言っておいたんだよ。」と笑っておられました。

 彼女とのQ&Aが終わると聴衆との質疑応答です。これも複数の人が手を挙げ、質問に途切れがありません。老師の回答に会場が笑い声に包まれたりして、老師と聴衆の間に親密感や信頼感の有る和やかな雰囲気が醸成されていきます。「この雰囲気はなぜ作られるんだろう。見極めてやろう。」とフッと思いました。

この点に注目して老師の回答を聞いておりますと、質問内容に対する回答をはぐらかさないで、質問者が聞きたいことをストレートに回答されています。質問されてから回答されるまでの独特の“間”や声の調子が何とも言えない雰囲気を形成していきます。

例えて言うなら、舞台の熟練芸人が聴衆と一体となって雰囲気を盛り上げるのに似ています。(済みません。老師をとうとう芸人にしてしまいました。失礼の段、お許し下さい。)  

こうなると確認せずにはいられません。この事を申し上げ、「何故だとお思いになりますか?」と質問しました。「それはね、直感で質問者の質問の意図が正確に判るからなんだよ。」という答えが返ってきました。このような回答を頂いたら、本来は五体倒地の礼をしなくてはならないのでしょうが、私は「フウムー!!」と腕組みをして、唸ってしまっただけの不肖の弟子でした。

 約2時間のイベントが終わって「さあ帰れるのかな。」と思っていると、控え室へ多くの老師旧知の方々が挨拶に来られますし、更に質問したい人もやってきます。老師は丁寧に答えておられますが、「早く帰って老師に休んで頂かないと疲労が溜まられたらまずいなあ。」とYuvalに早く引き上げることを要求しようとしましたが、本人の姿が見えません。ようやく現れた時には小一時間経った後でした。多分関係者と明日以降の打合せをやっていたのだろうと思います。

 

2月18日(金曜日)

本日は1日目の接心が始まります。The Israeli Center for Mindbody Medicineに主としてYuvalの生徒が対象で約70名の接心参加者が集まりました(写真参照)。この頃から休息時間に翻訳本を持ってきて老師にサインをお願いする人達が出てきました。老師は快く書いてあげられていましたが、口コミで伝わったのか多くの人達が行列をつくるので、老師の休息時間が僅かしか無くなる事態になってしまいました。

夕刻、接心終了後に地中海に沈む夕日を観に行こうと海岸へ連れて行ってくれました。スタッフの人達にお世話になっているので彼等に感謝をする意味で我々が彼等に海岸沿いのレストラン(写真参照)で夕食をご馳走しようと話し合っていたのですが結局老師が全額を支払われました。

 この後宿舎に戻り19:30〜22:00までテレビの取材です(写真参照)。女性インタビューアーとビデオ撮影技師の2人が機材を持って時間通りにやって来ました。照明の調整等の準備が行われる間に泰純さんが老師の足のマッサージを実施し、疲労の回復を図ってくれていました。このインタビューの出来は今一つでした。インタービューアーが質問して老師が答えるやり方でしたが、老師の回答に対して確信を突いた質問をせずに、一般的な質問をするなど、表面的な付け焼刃の知識で質問をするのでどうも話が盛り上がりませんでした。

 

2月19日(土曜日)

 接心の2日目です。会場が変わって先日出版記念イベントが行われた会場の上の階に広間が有り、そこで一般の人を対象にして行われました。参加者は60名程度(複数写真参照)。講義の後の質問が多くてなかなか終わりません。おまけに本へのサインの希望者が並びだしたので老師の休息時間がなくなってしまいました。

老師に質問したい人がなかなか自分の順番が来ないので、ナント私に質問をしてきました。「輪廻転生は無いと老師が言われたが納得できない。」とのこと。「仏道では心と身体が一体のものとしているので、身体が無くなれば心も無くなる。」と言うと「それでは***はどのように考えるのか。」との質問です。私の英語力では***の単語の意味が判りません。優さんが近くに居たので「***て何?」と聞いたら「業でしょう。」とのこと。この状況を見ていた質問者は優さんの方が頼りになると思ったのか「サンキュウ」と言って優さんの所へ行ってしまいました。正直ホッとしましたが、「業」って日本語でも説明できません。

後日、老師に質問しました。「業は本来、行為のことであるが、これが因果関係の決定論の説明に使用され、自己責任の責任逃れに利用されるようになった。輪廻転生にも間違った業の解釈が説明として利用されている。」とのこと。「因果関係だけでは人は皆運命論者になって自分で運命を切り開くことをしないであきらめてしまう。刹那生滅の道理がなければ自己責任が説明できない。」とお教え頂きました。

夕食の後、19:30からBhavana House(瞑想を指導しているところ)で坐禅と講義

が行われ約50人の方々が集まっています。座禅中に老師の姿勢が僅かに崩れています。「老師はもう体力的に限界に来られている。」と思いました。

 22:00に宿舎に戻りましが、老師は「先に休むよ。YUVALによろしく言っておいて欲しい。」と早々に休まれました。Yuvalはベランダに出て電話で1時間以上も話しをしています。部屋に戻ってきたので、「老師は疲労が溜まっているので寝られた。小さな声で話そう」と言うと、それでは部屋を出てベランダで話そうということになりました。明日の詳しいスケジュールを教えて貰い、老師の休息の時間を確保して欲しいこと等をお願いしました。

 

2月20日(日曜日)

その後お互いのことやイスラエルの状況について話をしていて気が付くと2:00になっていました。明日は早い、もう寝ようと部屋へ引き上げましたが、Yuvalは6:30には朝食を作りに現れました。チットも疲れた様子がありません。老師も早めに寝られた為かお元気そうで一安心です。だが泰純さんが老師の足のマッサージをされてましたが、接心が続いた為か足のむくみは解消していないことが判り、多少不安です。

本日は10:00からファイナンシャル雑誌のインタビューが入っています。昼食はYuvalを休ませるために優さんがご飯とチゲ鍋を作ってくれました。たまたま持ってきていた韓国海苔も出て久しぶりの韓国料理です。

14:30から写真撮影。16:30からテレアビブ大学内でIsraeli Psychologists(心理学者&カウンセラー)との懇談会(写真参照)。19:30から同大学の東アジア学科の学生への講義(写真参照)と盛り沢山のスケジュール。ナントこの聴衆の中に若い日本人女性留学生が聞いておられました。政治学を勉強しているとのことでイスラエルでは情報の質と量が日本と異なるとの事。この女性から見た老師は、高齢にも関わらず英語で講義をされ質疑応答までされていることに正直驚いたとのことでした。別れる際に日本の実家から送ってきたからと煎餅を頂いてしまいました。本日も帰宅は22:00を過ぎてしまいました。

 

2月21日(月曜日)

6:30起床、昨日の白米の残りに冷蔵庫の残り物を投入して雑炊を作り、老師と質素な朝食をすましました。泰純さんから体調を崩した為休みたいので、行動を共に出来ないとの電話連絡がありました。

Yuvalは私が多少料理を作ることが出来ると判断したのか、9時にやってきました。今日はユダヤ教のラビとの面談日なのでYuvalは老師にユダヤ教についての基礎知識を講義をしていました。

10:00に熱心な質問者が訪問。彼は接心や講義に必ず現れ、チョッと的外れな質問をしてくる人なので顔を覚えてしまっていました。只、行動が穏やかで老師を遠くから見守る程度なので老師のファンかなと考えていました。

老師にどなたかが面談に来られた場合、私は出来るだけ邪魔にならないように引っ込むのですが、この人の場合老師と2人だけにするのは危惧されましたので老師の傍に居りました。   

しかし老師と1対1で面談しても質問が要領を得ません。(非常に緊張したいるようすですし、処理速度が遅いPCで動画をダウンロードしている感じで、質問の途中で突然休止時間が2〜3分あります。)こんな質問状態が30分も続くとイライラしてきます。老師は嫌な顔もされずに静かに座っておられます。

これは面談を中止すべきと考え、ベランダに出ていたYuvalに「彼はどのような人なの?」と質問しました。「少しナーバスな傾向のある人だ。」とのこと。取り合えず帰ってもらうことにしましたが、「又、老師と話をしたい。」と言う。後で老師にお聞きすると「質問内容を忘れたといっていたね。」と客観事実のみを言われた。老師はお疲れだろうし、今後の講義の準備などの貴重な老師の時間を消費させてしまいました。もっと早く帰って頂くようにすべきであったと反省しました。

 Danが来て、庶民のレストランで美味しいところがあるので昼食に行くことになりました。老師には歩いて頂かないと足のむくみが解消しないと思い、「歩いたら何分かかる?」

「30分、老師の足なら40分」とのこと。老師に承諾を貰い、歩くて行くことにしました。まさに小春日和の天気で、気温は多少涼しい程度で陽が当たるとぽかぽかとしています。道すがらDanは老師と仏道の質疑応答、私とYUVALは日本とイスラエルの違いについて雑談をしながらレストランへ向かいました。途中でBig Alon の車が通りかかりました。彼も一緒に昼食へ。彼はマッサージ師なので老師の足をマッサージして貰えないかと頼んだら「名誉なことだ。」と快諾してくれました。我々は帰路も歩いて帰りましたが、ナントBig Alon は車で先に到着して老師の足をマッサージする為にマンションの前で待っていてくれてました。どうもその日の予定を変更して対応して頂いたようで、後から気が付いて申し訳なく思いました。

雑用を済ました優さんが到着して、18:00過ぎにエルサレムから車で40分かかるJafaと言う海岸にある都市へ向かいました。ここに面談相手のラビの布教所があります。ラビとの面談を待っている間に信者による音楽の練習が始まりました。約20分後に老師との面談が始まりました(写真参照)。挨拶を交わしてから、話が始まると思っていましたら、ラビも老師もお互いに何も言わないで相手の様子をジーッと見ているのみの10分間の無言時間が経過してしまいました。

「これって何がおきているのだろう。」周りで会談の内容を聞こうとしている者にとっても不可解な状況です。その後の話も盛り上がりません。とうとうラビは席を外してしまいました。

 しばらくして、会場を隣のホールに移して、集まった60名ほどの聴取を前にラビと老師の説法が始まりました。先ず老師の説法が始まり、次にラビの説法が続きます。そして老師の説法が再開され、と交互に続きます。ラビは老師の説法内容を正面から否定しません。むしろ肯定的な表現で補足説明をする外交的説明に終始しておられました。

しかし聴衆は因果関係や業について積極的な質問を老師にしてきます。明確な答えが返ってくるので、次第に質問が盛り上がり時間切れで終了しました。

23:00に帰宅。残っていた雑炊に更に冷蔵庫の残り物を加えて、老師と夜食を食べ就寝。時計は次の日を指していました。

 

2月22日(火曜日)

 本日はスケジュールは空いているので休息日。旅行ガイドを見ていたらテリアビブには世界最大のダイヤモンドの取引所があるとの事。ダイヤモンドの博物館もあると書いてあったので興味をそそられ、老師に見学をされませんかと提案してみました。老師はダイヤモンド交易所の現状に興味をお持ちのようで賛成されました。

 Yuvalに相談すると驚いたことに彼の兄さんがその取引所の中で会社を経営しているとのことです。見学の話が具体性をおびて進行し始めました。

9:00過ぎに、Danが南フランスからやってきたエルベを連れてやってきました。彼は老師と会うのは3年ぶりになるので、多くの質問を老師にしていて二人の面談は延々と続きます。

今日はYuvalが仕事なので、今回の企画運営をやっているHabarの車を提供して頂きました。仕事柄でしょうか、Habarには携帯電話に次々と連絡が入る。自動車の中ではハンドフリーで話しています。彼女にとってはこれが通常の状態なのでしょう。見ている私には小気味の良いキャリアーウーマンの忙しさでした。

昼食は海辺のレストランでシーフード料理を招待して頂きました。その後にDanとエルベと泰純さんはエルサレムへ、老師と優さんと私はダイヤモンドセンターへ(写真参照)と分かれました。

ダイヤモンドセンターのセキュリテイは厳しく、パスポートの提示に手荷物検査、写真機等の撮影機材は持ち込み禁止です。おまけに一人一人、その場で写真を撮って通行書を作成しています。ガイドブックにはパスポートが必要と書いていなかったのでウッカリ忘れた私は「パスポートを見せて。」と言われた時点で、老師と優さんだけで見学に行ってもらって、帰って来られるのをセキュリテイ場所で待っていようと、中に入るのを諦めていました。

ところが、なんとHabarが連絡を取ってくれたら、Yuvalの兄さんの事務所から人が来てくれ、おまけにセキュリテイ関係の人と思われる人達も数人登場し、事務所の保障で通行書を作ってもらえることになり無事中に入ることが出来ました。

先ず、Yuvalの兄さんの会社に挨拶に行ったら、Yuvalが既に待ってくれていました。ダイヤモンドの知識を30分教えて頂き、取引所見学へ。

約80席程の机があり、ここでバイヤーとセラーが取引を行うとの事である。一つのデスクに案内され三カラットのダイヤモンドを見せて頂きましたが、さすが豪華です。俄然、優さんの眼が輝きだしました。値段を聞いてビックリです。30000ドル。ユダヤ人達が、迫害された時、かさばらないダイヤモンドを身に付けて逃げたといいます。財産保全の必要から取引所の実権をユダヤ人達が握っているのも頷けます。

夜は日本料理の店で懇親パーテイが開かれました。そもそも泊めて貰った方々に我々が日本料理を作って感謝の意を現わそうと言い出したのが発端でしたが、その話がどこで変わったのか分かりませんが、参加者が増えて個人の家ではできずに日本料理レストランになったようでした。約20名出席。チョッとした揚げ出し豆腐が1000円、チョットボッタクリ感がある値段の高級日本食レストランです。それでも店内は21:00過ぎには満席になってきました。

 イスラエルの人達は明日の不安があるので刹那主義的なところがあるそうで、お金があるなら少しでも美味しい物をとの傾向があるというのはスタッフの説明でした。

パーテイにしてくれたハガー(Hagar Yanai)とお話できました。彼女が着ている服装は高価そうで、腕に着けたブレスレットはダイヤモンドだそうです。彼女は10年前に道場に住んでいたときに六本木でホステスのアルバイトをしていたとのこと。当時は身体に触れられることも無く、4時間で15000円のバイト料であったといいます。又日本に行きたいと言っていました。「貴方ならお金持ちなので簡単でしょう。」というと、たしかに本は売れたがイスラエルの人口が少ないのでそんなに儲からなかったとの事、会話する距離で見ても美人でした。残念ながら本日はボーイフレンドがご同伴でした。

 

2月23日(水曜日)

 本日はElstein教授と朝食を食べながら打合せとの予定であったのでお茶を飲んで待機していましたが、優さんを連れてきたBigAlonが出た電話に急遽中止連絡が入り、アドリブで間に合わせの朝食を作らなければならなくまりました。

メニューは、私がまだ残っていた雑炊に最後の働きをして貰い、残り物を更に加えて増量し、優さんがバナナときゅうりのサンドイッチを創作しました。

  11時からBar Alan 大学での講義のため10時に出発。この大学のセキュリテイは

厳重です。撮影も禁止です。この大学はユダヤ教を教える大学であるので他の宗教の攻撃を警戒しているとの事。講義には上流階級の人々を中心に約50人の人々が集まりました(写真参照)。その半数は女性でしたが、教育水準が高い為か理解が早く、因果関係の質問が出た時、質問者が理解不足の質問をすると、老師が回答される前に、聴衆から「現在瞬間での話しだよ。」とサポートする発言があるなど、活発なQ&Aが続けられました。

 講演後、世話役の教授達と大学の食堂で昼食をご馳走になりました。前菜のサラダとオードブルでお腹が一杯のところに、半端じゃないメインデイッシュが出てきて、ホントにこちらの人達は良く食べると思っていました。しかし、近くに座っている学生達の食べている物を見ているとスマートな人はサラダとパンの簡単な食事内容です。やはり歓待して頂いているのです。

 昼食後、別棟にある学長の執務室に行って、面談が行われました。

老師と学長の会談は友好的な雰囲気で行われました(写真参照)。一言で言えばこの学長の方針は融和政策です。他の宗教とも仲良くやって行きましょう。という方針です。ユダヤ教の大学なのに、どうして仏教の講義をさせてもらえるのかが疑問でした。学長の計らいが大きいと感じました。ユダヤ教は歴史的に異教徒の中で存続せねばならないから、争いよりも融和が歴史の知恵として息ずいているのでしょう。

 夜の講義はテレアビブ大学で一般の人達を対象に行われます。それまで三時間の休息時間が有りましたので老師にはベッドで休むようYuvalが個室を手配してくれていました。私は坐禅をしたり資料の整理をしていいましたが、疲労が溜まっていたのか何時しか眠ってしまっていました。

 会場は階段ホールで約100名が聴きに来ていました。老師は新潟大学大学院医学部の安保教授の資料も引用しながら自律神経のバランスの大切さを話しておられました。講義終了後複数の講義を聴きに来てくれていた女性が5歳程度の子供を連れて質問に来ていました。子供は老師にプレゼントすると言って彼の書いた絵を老師に渡しました。

 この講義で予定の講義は全て終了しました。我々は明日イスラエルを離れるので、講義の終了後スタッフの方々と別れを惜しみながらお別れをしました。Little Alon が老師と私をYuvalのマンションまで送ってくれましたが、お世話になったので食事をご馳走することにしました。彼に地元の人が行く美味しい店に連れて行って欲しいとお願いして、連れて行って貰らいました。

やはりここにも荷物チェックのガードマンが一人いて手荷物検査します。この辺りにはあまりアジア系の者は見かけないだろうし、おまけに老師は僧服なので目立ってしまいます。お店の客や従業員は素知らぬ振りをしていましたが、Little AlonYuvalに連絡する為に店の電話を借りに行った時に、店員から色々と質問されたとの事。やはり注目をされてしまっていました。

 

2月24日(木曜日)

 本日はいよいよイスラエルをでる最終日です。Yuvalが8時前に現れて、今日は外で朝食をとろうと言い、近くのショッピングセンターへいきました。

その途中に兵士がライフルを持ってバスを待っていました。度々このような光景を見るのでどうしてライフルを持っているのと質問しますと、パレスチナ人にとってはイスラエル兵士を殺すのは名誉なことであるので兵士が襲われる可能性が高い、自衛の為ライフルをもって通勤しているとのことでした。

 Yuvalが注文は任せなさいというので、お任せしたらサラダに玉子焼きにチーズにパンとバターにジャムに飲み物と大変豪華な朝食になりました(写真参照)。最後の食事だから気を使ってくれたようです。彼は代金を受け取ってくれませんでした。

 マンションに帰ったときに老師はYuvalに「貴方にプレゼントがある。」と言って、心付けを渡されていました。又、Big Alonが別れの挨拶に来てくれて、お土産まで頂いてしまいました。

 10:00にYuvalが老師と私を空港まで車で送って頂きました。空港の入り口ゲートから厳しいセキュリテイが始ます。まずゲイトで口頭質問で疑わしければトランクを開けさせてチェックされます。チェックするのは訓練を受けたライフルを持った係官で我々の前の車はトランクを開けさせられていました。

空港に1200に到着、既にYuvalのフィアンセや、優さんを送ってくれたLittle Alon、泰純さん、EliSharoneも到着していて我々を待っていてくれました。

空港のセキュリテイはビエナからイスラエルに向かうフライト以上で厳重です。搭乗者がイスラエル人である確率が高いので当然と言えば当然ですが。口頭チェックが三回あり、漸く荷物検査に進んだと思ったら老師の荷物が再検査となりました。髭剃り器が問題かと思っていますと、本を調べ始めました。本をペラペラと捲り、中がくり抜かれて危険物が隠されていないかを確認し、なおかつ金属検査機でチェック、多分信管の存在を確認しているのでしょう。

漸く終了して搭乗カウンターが上階にあると思い、係員の指示に従いガードエリアから出て上階に上がろうとして、振り返るとガードエリア内に搭乗カウンターがありました。先ほどの係員にまだ搭乗手続きを済ましていないと言うと、責任者を探していて見つからないので、もう一回最初から並べと言う。だけど手荷物は既に検査を終わっているとEliが交渉をしてくれていたら、漸く責任者が現れそのままで搭乗手続きしてよいとの許可が出ました。そして、手荷物検査、出国審査を受けて搭乗待合室に到着したのが14:00です。2時間もかかってしまいました。

  約3時間のフライトでビエナに到着、入国審査はフリーパス状態ですこぶる気持ち良く通過しました。だがここでもトラブルが発生しました。優さんのトランクが破損していたのです。

空港内のトラブルセンターで改善を要求したが日本の到着空港で対応すると言う回答です。今困っているのだからトランクを交換することを保障してくれと言うと何か書いた紙を渡されました。老師が文面を見られて、これでは責任がオーストリア航空に無いと書いてあるので問題だと言われ、トランクの修理の保障をオーストリア航空が責任を持って保障すると書き直してもらって、漸くホテルに向かった。この対応のため約1時間余分にかかってしまいました。

  ホテルは往路に使ったヒルトンホテル。飛行機で機内食が出たので夕食を取らずに就寝しました。

2月26日(金曜日)

  先に書いたように、本日は偶々飛行機が運休になってしまって出来た休息日です。7時に集まって一緒に朝食をしたときに、ビエナ観光をしようと言うことになりました。集合時間の9:00になっても集まったのは老師と優さんと私の三人のみ、とりあえず優さんのトランクの件をカタズけるために市内のヒルトンホテルへ向かいました。

 トランクを修復する優さんを残し、旅行の反省と今後の道場の運営に対する協議を行うため老師と私は宿泊ホテルに引き返しました。

協議終了後シャトルバスの時間までドナウ河のほとりを散歩(写真参照)。アイスバーン状態で滑り易く、イスラエルの気候と何と違うことか。

シャトルバスの時間が来たので市内観光に向かう。タクシーを借り切り市内観光をしました。時間が無い為、車内から観光スポットを見るだけです。英語の説明は劣等性の私には半分も理解できません。ウイーンの森も雪の中で葉の落ちた落葉樹が乱立しているだけの寒々とした雰囲気です。春や秋はさぞかし美しいのでしょう、この季節に再度訪れたいものです。

 夕食はタクシーの運ちゃんの紹介で地元の田舎風なレストランへ(写真参照)、ウエイターはフレンドリーに陽気に対応してくれましたので、楽しいビエナの夜を過しました。

 

<後書き>

 本日は2005年8月11日です。老師の圧迫骨折での入院と突然の道場閉鎖が相次いで起こり、なんとも言えない虚無感が私の心を占めています。

幸い老師はお元気で、階段の上り下りも可能なので一安心です。只、今後の布教活動は縮小せざるを得ない状況です。実はチリへの布教の時にこの旅行が最後だと言われていましたが、その後1年半の間に韓国とこのイスラエルに行かれたわけで老師の仏道布教の情熱の凄まじさが解ります。

幸いにもこれらの布教旅行全てに随行できる幸運に恵まれた私は老師のお人柄に長時間接することができました。特にイスラエル布教では全工程を同室で過させて頂き、多くのことを学ぶことが出来たと思っております。

旅行中の全てを書くことは出来ませんでしたがほぼ要点は書いたつもりです。文章力があればもっと生き生きとした表現が出来たかもしれませんがそれはお許し願うとして、老師の布教活動の一端を皆様方にご紹介することができて大変嬉しく思っております。