このように人間は因果関係に縛られているにも拘らず、僅かに現在の瞬間において自由である処から、
われわれの現在のおける行いが、仏教が主張する宇宙の秩序,すなわち法に合致するか否かに関する問題が、
極めて重大な課題として登場する。
「四諦の教え」の最後の段階で「道諦」が取り上げられている事情はここから来ている。しかしわれわれの
日常生活を振り返つて見ると、われわれは現在の瞬間において,やりたいと思うことを実行することが出来ず、
また実行したくないと考えている行いをついつい実行してしまう矛盾に悩まされている。
釈尊もわれわれの日常生活におけるこの極めて皮肉な事情に気付かれており、その救済のために坐禅の
修行を残された。
坐禅をすることにより
自律神経のバランスが整い、
われわれの心身の状態が普通になると、
人間は自然に善いことをするようになり、
悪いことをしないようになる。
それが仏道の世界であり、仏教という言葉の他に仏道という言葉があるのはそのためである。
(西嶋(愚道)和夫)