| この二つの哲学は、今日の世界文明の中では非常に發達した代表的な哲学であり、われわれはその影響を
日常生活の中で非常に受けている。しかしこの二つ哲学は両者が完全に異質であり、「観念論」が正しければ
「唯物論」は完全に誤りであり、「唯物論」が正しければ「観念論」は完全に誤りであるという互いに両立しない
性格を持つている。
したがつてこの二つの哲学が並存している社会では、常に相反する哲学が対立して絶えず争いが繰り返され、
社会が決して安定しない。
釈尊はこの事実に気付かれた。そしてその解決に努力された。その結果釈尊は、「観念論」や「唯物論」の
ようにわれわれが単に問題を頭の中だけで考えた場合には、「観念論」と「唯物論」との対立の問題が永遠に
解決不可能であることに気付き、「観念論」と「唯物論」との永遠に続く対立関係を解決するためには、頭で物事を
考えたり感受したりする理知の世界から抜け出し、自己管理の世界、行いの世界に入つて行かなければ成らない
ことを発見された。これが「滅諦」の立場である。
釈尊は理知の世界と行いの世界との間に横たわる全く次元の違う二つの哲学の存在に気付き、長い人類の
歴史の中で他に類例を見ない行いの哲学を發見された。これが「滅諦」の意味である。
|