開経偈 唱和

 先日、二、三の方に今月の二十五日の午後一時と七時に私の話がテレビ朝日であるかもしれないというご連絡をしたわけでありますが、その後、よく調べてみますと、それが予定が変わっているようでありまして、そのことについてちょっとお断りしておきたいと思います。

 テレビ会社から頼まれて、テレビの放映の内容を録画する会社が渋谷にありまして、そこへ行ってそのときのための録画をしたわけでありますが、そのときに、そのテレビの材料をつくる会社の社長の人と対談をしたわけであります。

 そのときに、その社長さんがいうには、「自分たちの会社は政府と直接の関係のある会社ではないから、話の内容については自由に述べてほしい」と、こういう話があったわけであります。

 そこで、私ももうそろそろお迎えが近くなりましたから、本音を話しておこうというつもりがありましたので、ちょうどいい機会だということで、そのときに霊魂の存在という問題について、霊魂というものは誤解であって、存在しないという話を非常にはっきりしたわけであります。

 恐らくテレビ朝日のほうではその発言が審査を通らなかったということがあったんだろうというふうに見ておりますが、そんな形で予定の話は放映されないと思いますが、私はもうそろそろ本当のことをいっておく時期が来たというふうな見方をしておりますので、今後はそういう問題についてもかなりはっきりした意見を述べておこうと、こういうつもりでいるというのが実情であります。

 

 それではまたこの『正蔵眼蔵』の講義のほうに入ってまいりますと、きょうは五五ページの「古仏心」の最初のところからになるかと思います。

 この「古仏心」というのは、「古」というのは昔という意味でありますが、それと同時に、無限の過去から続いている永遠というふうな意味もありまして、「古仏」というのは永遠の真実を得た人という意味であります。そこで「古仏心」というのは、永遠の真実を得た人々がどういう心を持っているかという問題が説かれているということになります。

 そこで本文のほうを読んでまいりますと、五五ページのところで、

 「祖宗の嗣法するところ、七仏より曹谿にいたるまで四十祖なり、曹谿より七仏にいたるまで四十仏なり」、「祖宗」というのは伝統的な師匠でありますが、その伝統的な師匠の人々が師匠から弟子へ師匠から弟子へというふうに釈尊の教えを受け継いでいく、それが「嗣法」という意味でありまして、伝統的な師匠が釈尊の教えを引き継いでいく際に、「七仏にいたるまで四十仏なり」、仏教では「過去七仏」という考え方がありまして、釈尊以前にも六人の仏がいたと、こういう考う方があるわけであります。

 それはどういうことかというと、釈尊の教えというのは永遠の真実であるから、釈尊が誕生されて仏道の勉強をして得られる以前から、そのような真実というものは何人かの人によって受け継がれてきたと、こういう考え方でありまして、釈尊の以前に六人の仏というものを考えて、釈尊も含めて「過去七仏」という考え方があります。

 そこで、「七仏より」というのは、その過去七仏ということでありまして、釈尊より以前におられた六人の仏も含めて、釈尊から、「曹谿にいたるまで四十祖なり」、「曹谿」というのは中国の第六祖の大鑑慧能禅師であります。そこで、大鑑慧能禅師の時代になるまでに四十人の祖師がいた。そうして、「曹谿より七仏にいたるまで四十仏なり」、今度は曹谿山におられた大鑑慧能禅師から昔に向かってさかのぼっていくと、過去七仏も含めて四十人の真実を得た人がいる。

 「七仏ともに向上向下の功徳あるがゆゑに、曹谿にいたり七仏にいたる」、仏教の考え方では、真実を得た方々というのは昔も今も時代の違いをこえて真実を受け継いでいるという考え方がありますから、「七仏ともに向上向下の功徳あるがゆゑに」、過去七仏といえども、過去の仏も時代の新しい仏もまったく同じような教えを引き継いでこられた。だから昔にさかのぼっても、昔から今日まで時代の流れに従って数えてみても、どの時代にも通用するような性質を釈尊の教えが持っているから、したがって、「曹谿にいたり七仏にいたる」、大鑑慧能禅師の時代まで時の流れとともに受け継がれてくるという関係があると同時に、今度は逆に、時代をさかのぼって過去七仏まで到来するような流れというものも同時にある。

 「曹谿に結上向下の功徳あるがゆゑに、七仏より正伝し、曹谿より正伝し、後仏に正伝す」、そこで曹谿山におられた大鑑慧能禅師の代のことを考えてみても、過去にさかのぼって真実を得た人を数えることもできるし、また過去から新しい時代に向かって真実を得た人の数も数えることができる。法を伝えるということは、そういうふうに時代の制約をこえた真実の流れであるから、「七仏より正伝し」、過去七仏から曹谿山の大鑑慧能禅師まで伝えられてきたけれども、「曹谿より正伝し」、逆に曹谿山からさかのぼって過去七仏まで教えの伝承が行なわれたということもいえる。「後仏に正伝す」、さらに後の時代の真実を得た人々に対して正しく伝えられるということもある。

 「ただ前後のみにあらず」、そうしてまた釈尊の教えというものはどういう時代を通じてでも疑うことのできない真実であるから、上下に同じような教えが行き渡っていると同時に、上下だけの関係ではない。

 「釈迦牟尼仏のとき十方諸仏あり、青原のとき南嶽あり、南嶽のとき青原あり、乃至石頭のとき江西あり、あひ罜礙せざるは不礙にあらざるべし」、釈尊が生きておられた時代にもあらゆる方角にたくさんの真実を得た方がおられた。そうして青原行思禅師が生きていたときにも、同じ時代に南嶽懐譲禅師がおられた。したがって逆に南嶽懐譲禅師がおられたときに青原行思禅師がおられたということもいえる。

 「向来の四十位の仏祖、ともにこれ古仏なりといへども、心あり身あり、光明あり国土あり、過去久矣あり、未曽過去あり」、そこで、「向来の四十位の仏祖」、過去七仏から大鑑慧能禅師まで四十人の真実を得た人がおられ、伝統的な祖師がおられるけれども、「ともにこれ古仏なりといへども」、いずれも仏道修行をして永遠に通用する真実を勉強された方であるけれども、「心あり身あり」、人間としての心も持っているし、体も持っている。「光明あり国土あり」、真実を得た人に具わった輝かしさを持っていると同時に、その人々の生きた国というものもある。「過ギ去ルコト久矣あり」、したがって、そういう方々のおられた時代から長い年限が経っているし、「未ダ曽テ過ギ去ラザルあり」、また、ものの見方によっては、過去の真実も、新しい時代の真実もまったく同じような内容であるから、過去のものが過ぎ去ったわけではないという理解の仕方もできる。

 「たとひ未曽過去なりとも、たとひ過去久矣なりとも、おなじくこれ古仏の功徳なるべし」、そこで、昔の教えがけっして過ぎ去ってはいないという考え方もあると同時に、昔の方々の教えが過ぎ去ってから非常に長い年月が経ったというふうな理解の仕方も、両方できる。そこで、「おなじくこれ古仏の功徳なるべし」、昔の教えがそのまま残っているという考え方もできるし、昔の教えがとうに消えてしまっているというふうな考え方も同時にできる。

 「古仏の道を参学するは、古仏の道を証するなり、代々の古仏なり」、そこで、そのように時代の制約をこえて説かれた真実というものを勉強するということは、「古仏の道を証するなり」、永遠の真実を得られた方々の教えを自分で体験することであり、「代々の古仏なり」、そういう形で時代時代にそれぞれの真実を得られた方々がおられる。

 「いわゆる古仏は、新古の古に一斉なりといへども、さらに古今を超出せり、古今に正直なり」、そこで、この「古仏」という言葉の意味を考えてみても、「新古の古に一斉なりといへども」、新しい、古いという考え方があるけれども、その新しい、古いという考え方と「古仏」の「古」という字には共通の内容が含まれている。しかしそれと同時に、「さらに古今を超出せり」、「古仏」の「古」という字には昔とか今とかいうふうな時代の違いを乗りこえて一筋に続いている真実があり、「古今に正直なり」、過去、現在も含めて正しい一直線の道が存在していると、こういう解説をまずしておられます。

 

 それから今度は個々の祖師方が古仏ということについてどういう表現をしておられるかということを例を挙げて説かれているわけであります。それが五八ページのところから始まるわけであります。

 「先師曰、与宏智古仏相見」、「先師」というのは道元禅師の師匠の天童如浄禅師でありますが、天童如浄禅師が、「宏智古仏」というのは宏智正覚禅師という方でありますが、その方と自分は出会った。

 そのことはどういうことを意味するかというと、宏智正覚禅師の述べておられる言葉、あるいは書かれた文章を読んで、宏智正覚禅師が仏道をどういうふうに理解しているかということを勉強し、宏智禅師が持っている考え方と天童如浄禅師自身が持っている考え方とがまったく一致しているというふうな体験をした。そういう意味で「宏智古仏与相見ス」という言葉を述べられた。

 そこで道元禅師がこの天童如浄禅師の言葉に解説をされて、 「はかりしりぬ、天童の屋裏に古仏あり、古仏の屋裏に天童あることを」、この言葉から推察できることは、天童如浄禅師の生活環境の中には永遠の真実を得た仏というものがあるし、「古仏の屋裏に天童あることを」、天童如浄禅師は永遠の真実を得た人々の境地の中に入っておられたということがわかる。

 こういう形で、まず道元禅師の師匠の天童如浄禅師が述べられた「古仏」という言葉についての解説をしておられるわけであります。

 

 それから今度は、「圜悟禅師曰、稽首曹谿真古仏」、また圜悟禅師克勤禅師は、「稽首ス」というのは頭を地面に叩きつけてという意味でありまして、「曹谿ノ真古仏」、曹谿山には大鑑慧能禅師がおられたわけでありますが、大鑑慧能禅師は本当の真実を得た人であった。その曹谿山におられた大鑑慧能禅師に対して自分は頭を地面につけて礼拝をすると、そういう言葉を圜悟禅師が述べておられる。

 道元禅師がこういう言葉を引用されることによって、圜悟克勤禅師は仏道修行をした結果、曹谿山におられた大鑑慧能禅師と同じ境地を体験しておられる。だから圜悟禅師自身が真実を得た人の境地を体験しているから、曹谿山におられた大鑑慧能禅師がどんな境地で人生を生き、どんな形で釈尊の教えを説かれたかということが自分にはわかると、そういう意味で圜悟禅師が「稽首ス曹谿ノ真古仏」という言葉を述べた。

 そこで道元禅師がこの圜悟禅師の言葉に解決を加えて、「しるべし、釈迦牟尼仏より第三十三世は、これ古仏なりと稽首すべきなり」、この圜悟克勤禅師の言葉から、釈尊から数えて第三十三代目の曹谿山におられた大鑑慧能禅師は永遠の真実を得た人であるという意味で、頭を地面につけて礼拝するだけの価値がある。

 「圜悟禅師に、古仏の荘厳光明あるゆゑに、古仏と相見しきたるに、恁麼の礼拝あり」、そのことは、圜悟克勤禅師自身が、「古仏の荘厳光明あるゆゑに」、時代の制約をこえて真実を得た人としての厳かな様子があるし、また輝きも持っている。そういう意味で、圜悟克勤禅師が大鑑慧能禅師と直接出会ったというふうな印象を持っていたために、「恁麼の礼拝あり」、このような形で大鑑慧能禅師に対して礼拝するということを述べているのである。

 「しかあればすなはち、曹谿の頭正尾正を草料して、古仏はかくのごとくの巴鼻なることをしるべきなり」、このような事情から、「曹谿の頭正尾正を草料して」、「頭」というのは最初という意味でありますし、「尾」というのは終わりという意味であります。ですから、道元禅師は「頭正尾正」という言葉をよく使われますが、最初も正しく、終わりも正しいというのが「頭正尾正」という言葉の意味でありまして、「曹谿の頭正尾正を草料して」というのは、曹谿山におられた大鑑慧能禅師が、その最初も最後も非常に仏道にかなった生活をしておられたということを考えて、「古仏はかくのごとくの巴鼻なることをしるべきなり」、永遠の真実を得た仏というものは、この曹谿山におられた大鑑慧能禅師のように、自分自身を管理することのできる人であるということを知るべきである。

 「巴鼻」という言葉が出てまいりますが、この「巴」という字に手偏を付けますとつかまえるという意味になりまして、「把鼻」というのは牛の鼻に金属の輪を付けまして、それに紐を付けて牛を自由に引きずり回す道具が把鼻でありまして、その牛を自由に引きずり回す道具の把鼻から、人間が自分自身を自由に管理できるということを意味しているわけであります。

 われわれがなぜ坐禅をするかということになりますと、坐禅をすることによって自律神経がバランスする。自律神経がバランスしたということは、自分自身が自分を自由に動かせると、こういうことを意味するわけであります。

 「そんなことは当たり前じゃないか。誰でも自分自身を自由に動き回らすことができる」というふうなことを頭では考えるわけでありますが、実際はそうではない。で、自分のやりたいと思うことがなかなかできない、自分がやめようと思っていることがなかなかやめることができないという事情があるわけであります。

 たとえば朝起きて坐禅をするというふうな規則の生活をしている場合でも、まだ坐禅に慣れていない人は、朝起きて坐禅をするということがなかなかやりにくい、難しいというふうな状況の人もいれば、タバコを吸う、お酒を飲むというふうな習慣を持っている人は、「やめたい、やめたい」と思っているけれども、どうしてもやめられないというふうなことは、巴鼻を持っていないということになります。つまり、自分自身を自由に引きずり回すだけの力を持っていないということでありまして、これは人間として非常に残念なことだという問題があります。人間は誰でも自分自身を自由に引きずり回すだけの能力を持つことができるわけでありますが、たまたま生活環境からそういうことができないということは、人間としての特権を放棄していると、こういう事情にもなるわけであります。

 そこで、「この巴鼻あるは、これ古仏なり」、自分の日常生活の中で自分を自由自在に管理できる人は永遠の真実を得た仏だといえると、こういう解説をしておられるわけであります。

 

 その次にいきますと、五九ページの最後から二行目のところで、

 「疎山曰、大庾嶺頭有古仏、放光射到此間」、「疎山」という方は疎山光仁禅師と呼ばれた方でありますが、その疎山光仁禅師という方が、「大庾嶺頭ニ古仏有リ」、「大庾嶺頭」というのは山の名前でありますが、大庾嶺という山の頂に羅漢珪琛禅師がおられまして、そのことを述ベているわけであります。

 そこで、それに対して解説をされて、「しるべし、疎山すでに古仏と相見すといふことを」、「大庾嶺頭ニ古仏有リ」、大庾嶺という山の上に真実を得た羅漢珪琛禅師がおられるということを疎山光仁禅師がいっておられるけれども、その疎山光仁禅師の言葉というものが、大庾嶺頭におられた羅漢珪琛禅師が真実を得た人であるということを疎山光仁禅師自身がわかっていたのであるから、疎山光仁禅師が羅漢珪琛禅師が真実を得た人であるということがわかっていたということは、疎山光仁禅師も真実を得た人であったということを実際に示している。そういう意味で、「しるべし、疎山すでに古仏と相見すといふことを」、疎山光仁禅師自身も自分が真実を得た人になっていたということが、この「大庾嶺頭ニ古仏有リ、放光射テ此ノ間ニ到ル」という言葉の中に読み取れる。

 「ほかに参尋すべからず、古仏の在処は大庾嶺頭なり」、そこで、疎山光仁禅師の考え方からするならば、ほかの師匠を求めるということではなしに、大庾嶺という山の上にいた羅漢珪琛禅師という人が自分にとっては真実を得た人だということを確信していたことを意味する。

 「古仏にあらざる自己は、古仏の出処をしるべからず」、自分自身が真実を得た人になっていないならば、真実を得た人がどこにいるかということがわからないはずである。

 そこで、「古仏の在処をしるは古仏なるべし」、真実を得た人の所在がわかるということは、そのわかる人自身が真実を得た人になっていたということを意味すると、こういうことを述べておられるわけであります。

 

 その次にいきますと、六〇ページの最後の行のところで、

 「雪峰曰、趙州古仏」、雪峰義存禅師は趙州従諗禅師のことを尊敬して「趙州古仏」という呼び方をしていた。そこで雪峰禅師も趙州従諗禅師が真実を得た人であるということがわかっていたということを意味する。

 そこでこの言葉に道元禅師が解説をされまして、「しるべし、趙州たとひ古仏なりとも、雪峰もし古仏の力量を分奉せられざらんは、古仏に奉覲する骨法を了達しがたからん」、仮に趙州従諗禅師が真実を得た人であったとしても、もし雪峰禅師が真実を得た人の力を持っていない場合には、趙州従諗禅師という真実を得た人にお仕えして努力をするというふうな大事なやり方を十分理解しているということができなかったであろう。その点では、趙州従諗禅師が古仏であったと同時に、雪峰禅師も古仏であったということを述べておられるわけであります。

「いまの行履は、古仏の加被によりて、古仏に参学するには、不答話の功夫あり、いはゆる雪峰老漢大丈夫なり」、そうして、いまわれわれが仏道修行をしているけれども、そのわれわれがいまやっている仏道修行というものは、「古仏の加被によりて」、過去において真実を得た方々のおかげを被って自分たち自身が仏道修行ができている。

 そこで、「古仏に参学するには」、久遠の真実を得た祖師方の教えを勉強するに当たって、「不答話の功夫あり」、「答話」というのは返事をするということでありますが、「不答話」というのは返事をしないということでありまして、仏教の教えというものは現実の教えでありますから、言葉で表現することができない内容を持っている。そこで仏道の本当の内容がわかってくると、言葉による返事をしなくなるという事実がありまして、そのことを「不答話の功夫」といっておられるわけであります。したがって、永遠の真実を得た人について勉強していると、言葉では表現できないような内容というものがわかってくるし、「いはゆる雪峰老漢大丈夫なり」、その点では、

雪峰義存禅師も仏道修行をして仏道の真実をつかんだ優れた人物である。

 「古仏の家風、および古仏の威儀は、古仏にあらざるには相似ならず、一等ならざるなり」、そこで、永遠の真実を得た人々の生活態度というものは、それと同時に永遠の真実を得た人々の威厳のある行ないというものは、「古仏にあらざるには相似ならず、一等ならざるなり」、永遠の真実を得た人でないとそれらしい姿、態度がとれない。そうして永遠の真実を得た人でないと永遠の真実を得た人とまったく同じ態度をとることは難しいということがある。

 「しかあれば趙州の初中後善を参学して、古仏の寿量を参学すべし」、そこで、古仏といわれる趙州従諗禅師が最初も、中頃も、最後も、すべて善い行ないを貫いていたということを勉強して、永遠の真実を得た方々の生命の長さというものを勉強すべきである。

 このように「趙州の初中後善を参学して」という言葉から、仏教の教えというものは非常に道義的な教えだという問題があるわけであります。

 欧米の宗教の中には、人間の行ないよりも信仰のほうが大切だという考え方があるわけでありますが、仏教では逆に、本当のことが実行できるようになると行ないが整ってくる。だから仏教では信仰の問題よりも道義的な日常生活ができるかできないかということに重点が置かれているというふうな事情があるわけでありまして、そういう意味で、永遠の真実を得た人々の生命の長さというものを実際に勉強してみる必要があるという表現が行なわれているわけであります。

 

 その次に六二ページのところにいきますと、

 「西京光宅寺大証国師は、曹谿の法嗣なり、人帝天帝、おなじく恭敬尊重するところなり」、「西京」というのは、中国には幾つか西京と呼ばれる都市があるわけでありますが、ここの場合は河南府という都市を指しているということがいえるわけであります。そしてその河南府の光宅寺というお寺におられた大証国師は、「曹谿の法嗣なり」、曹谿山におられた大鑑慧能禅師の法を継いだ人である。「人帝天帝、おなじく恭敬尊重するところなり」、そこで、大証国師に対しては、人間社会の帝王も尊敬を払ったけれども、天上世界の帝王もやはり尊敬を払った。

 「まことに神丹国に見聞まれなるところなり、四代の帝師なるのみにあらず、皇帝てづからみづから車をひきて参内せしむ」、「神丹国に」というのは中国でありますが、中国においてもなかなか大証国師のような優れた仏道修行者というものは見当たらないところであり、大証国師は四代の皇帝に仕えて、師匠としての役割を果たしたばかりでなく、「皇帝てづからみづから車をひきて参内せしむ」、大証国師が皇帝の住まいに赴くときには、皇帝自身がその大証国師の乗った車を引いて敬意を表した。

 「いはんやまた帝釈宮の請をえて、はるかに上天す、諸天衆のなかにして、帝釈のために説法す」、また大証国師は、天上世界の最高の神といわれている帝釈天から説法してほしいというふうな招きを受けて、遠く天上世界に行って、たくさんの神々のいる中で帝釈天のために法を説いたといわれている。

 こういう形で、大証国師も古仏といわれる力量を持った人であるということを述べているわけであります。

 

 そうしてその大証国師がどういう考え方を持っていたかということが次の六三ページのところから書かれているわけであります。

 「国師因僧、如何 是古仏心」、大証国師に対してあるとき僧侶が質問した。「仏道の世界には古仏心という心があります。永遠の真実を得た人の心という言葉がありますが、この言葉はいったいどういう意味でしょうか」という質問をした。

 「師云、牆壁瓦礫」、大証国師が返事をするには、「古仏心というものは垣根であり、壁であり、瓦であり、小石である」と。

 このことは、「古仏心」というふうな言葉が抽象的に頭の中で考えられたものを指すわけではなしに、眼の前にある垣根とか、壁とか、瓦とか、小石とかいう具体的なものそのものと永遠の真実を得た仏としての心というものとは同じものだと、こういう主張であります。

 ですから仏道修行をして特に偉くなるということではなしに、この世の中の実体がわかってくる。そうすると特別のことをやらないで、きわめて普通のことをやるというふうな状況が出て来るわけでありまして、そういう人の生活態度というものを「古仏心」という言葉で表しているというふうな理解ができるわけであります。

 そこで大証国師も僧侶から「古仏心というのはどういう内容のものでしょうか」と聞かれたときに、垣根とか、壁とか、瓦とか、小石とか、眼の前に見えているごく普通のものと永遠の真実を得た仏の心とは同じものだと、こういう主張をされた。

 そこで道元禅師がこの言葉に解説をされまして、「いはゆる問処は」、この問答の中で僧侶が質問しているところがどういうことかというと、「這頭得恁麼といひ」、いま自分がいるこの場所においても、言葉ではいい表せない真実というものが具わっている。それから「那頭」というのはあちら、向こうという意味でありますが、「那頭得恁麼といふなり」、自分から多少離れた向こうの場所でも言葉では表現できない真実というものがすでに得られている。だからここも、あそこも、あらゆる場所に言葉では表現できない真実がみなぎっているという意味がこの大証国師の「牆壁瓦礫」という言葉の中には含まれているわけであります。

 そこで道元禅師がさらに解説をされて、「この道得を挙して、問処とせるなり」、ここにおいても真実がある、ここにおいても現実がある、あちらにも真実があり現実があるというふうな主張というものは、そのような主張を取り上げて質問をしているというふうな事情がある。

 「這頭得恁麼」というのは、「この場所にはどういうものがありますか」というふうな質問の意味にも理解できるし、「那頭得恁麼」、「あちらにはどういうものがありますか」というふうな意味にも取れる言葉でありますが、そのような意味でわれわれの生きている現実というものが言葉では表現できないものであるけれども、現にここにもある、少し離れたあそこにもあるというふうなことが実情である。

 そこで、「這頭得恁麼」、「那頭得恁麼」というふうな言葉で大証国師の「牆壁瓦礫」という言葉を理解しているけれども、「牆壁瓦礫」という言葉自身が、「この世の中の真実が垣根や壁や瓦や小石の中に現れていることがわかるか」という質問にもなっている。

 「この問処、ひろく古今の道得となれり」、そこで、この大証国師のいわれた「牆壁瓦礫」という言葉が広範囲に、また長い歴史の経過の中で真実を表すことのできた言葉とされている。

 「このゆゑに、華開の万木百艸、これ古仏の道得なり、古仏の問処なり」、このように考えてくると、「華開の万木百艸」、この世の中にある草や木も時期が来れば花が開く。そのようにたくさんの木も、たくさんの草も花をつけるというふうな事情があるけれども、「これ古仏の道得なり」、そのように木や草が季節の変わり目に従ってさまざまの姿を見せるということも、永遠の真実を得た人々の言葉による表現と同じものである。したがって、たくさんの木やたくさんの草に花が開くというふうなことも、「古仏の問処なり」、真実を得た人が「この世の中がどんなものか」という質問をしているというふうな内容も含まれている。

 「世界起の九山八海、これ古仏の日面月面なり、古仏の皮肉骨髄なり」、そこで古代インドで考えられているように、われわれの生きている世界というものは、世界の中心に須弥山という山があって、その周りに八つの湖があり、八つの山が聳え立っているというふうな考え方も、「これ古仏の日面月面なり」、真実を得た人が、あるいは太陽の姿として、あるいは月の姿として日常生活を生きていることを意味する。「日面」というのは太陽の姿でありますし、「月面」というのは月の姿でありますが、そういう太陽や月の姿というものが、われわれがどんな世界に生きているかということを示しており、何が真実かということを示している。そこで、「古仏の皮肉骨髄なり」、われわれが現に見ているこの世の中全体というものが真実を得た方々の皮であり、肉であり、骨であり、髄であるということがいえる。

 「さらにまた古心の行仏なるあるべし、古心の証仏なるあるべし、古心の作仏なるあるべし、仏古の為心なるあるべし」、そこで、「古心の行仏なるあるべし」、時間の制約をこえた永遠の心というものが真実を実行しているということでもあるであろう。そうして、「古心の証仏なるあるべし」、時間の制約をこえた心というものは、真実とは何かを体験しているというふうな意味も持っている。「古心の作仏なるあるべし」、そうしてまた時間の制約をこえた心が真実を得た人をつくり上げるというふうな事情もあれば、「仏古の為心なるあるべし」、真実を得た人が持っている永遠の性格というものを自分の心にしているというふうなことが真実を得た人の日常の生活であろう。

 「古心といふは、心古なるがゆゑなり」、なぜそういうことをいうかというと、時代の制約をこえた心というものは、心そのものが永遠の性格を持っているということを意味する。

 「古心」と「心古」というのは同じ言葉の順序が入れ換わっている字でありますが、「古心」という場合には永遠の性格を持った心という意味でありますが、「心古」という言葉は心というものは永遠の性質を持っているということを意味するわけでありまして、その点では、「古心」と「心古」とは別々の言葉ではありますが、現実の世界では一つに重なっているという主張をしているわけであります。

 「心仏はかならず古なるべきがゆゑに、古心は椅子竹木なり、尽大地覓 一箇会仏法人不可得なり、和尚喚這箇作甚なり」、そこで、「心仏はかならず古なるべきがゆゑに」、心を中心にして真実を得た人というものを考えた場合に、その心を中心にして真実を得た人というものは、例外なしに永遠の性質を持っている。「古心は椅子竹木なり」、中国の祖師の問答の中で、「椅子というものを呼んでどういうふうに名前をつけるか」という質問をしたときに、「椅子というものはしょせん竹と木の集まりであります」という返事をしたという問答があるわけでありますが、「椅子竹木」というのは、椅子というものは竹や木の材料で出来上がっているという意味で、物を中心にしたものの見方になるわけであります。

 それから「尽大地一箇ノ仏法ヲ会スル人ヲ覓ムルニ不可得なり」、

このわれわれが生きている大地の全部を通じて一人でも釈尊の教え

を理解した人を得たいというふうに考てみても、その人を得ること

は不可能である。

 これはどういうことを意味するかというと、釈尊の教えというの

は、考えて理屈がわかるという性質のものではないという理解が仏

教の世界にはあるわけでありまして、仏教の真実というものは自律

神経のバランスした状態でありますから、その状態にいま自分がなっているかどうかということが大事な分かれ目でありまして、頭で考えて「仏法とは何か」というふうなことが理解の対象ではなしに、状況を意味しているというふうなことを、ここでは「尽大地一箇ノ仏法ヲ会スル人ヲ覓ムルニ不可得なり」。

 だから仏教の教えというのは、頭を使って理解するという教えではなしに、足を組み、手を組み、背骨を伸ばしてジーッと坐っていることによって得られる自律神経のバランスが釈尊の説かれた教えであると、こういう主張であります。

 「和尚喚這箇作甚なり」、そこで中国の僧侶の問答の中でも、椅子を指して「あなたはこれを何と呼びますか」というふうな質問が行なわれている。

 「いまの時節因縁、および塵刹虚空、ともに古心にあらずといふことなし」、そこで、「いまの時節因縁」、現在の瞬間において与えられた直接・間接の原因、つまりさまざまの環境というもの、「および塵刹虚空」、「塵刹」というのは無数に細かく分かれた国家を指すわけでありますし、「虚空」というのは今日でいうなら空間を指しております。そこで「塵刹虚空」というのは、この世の中のさまざまの状況や、それを含んでいる空間を指すわけでありまして、今日の社会の情勢や空間というものは、「ともに古心にあらずといふことなし」、どれを取ってみても永遠の時間の中におけるものの考え方でないということはない。

 「古心を保任する、古仏を保任する、一面目にして両頭保任なり、両頭画図なり」、そこで、永遠の真実を持った心を持ち続けることも、あるいは時代の制約をこえた真実をつかまれた方に頼る場合も、「一面目にして両頭保任なり」、古心というものはたった一つの実情ではあるけれども、そのようなたった一つの実情も、ものの考え方が二つに分かれたような状態を中に含んでいないということはいい切れない。それが「一面目にして両頭保任なり」、外見は一つだけれども、対立する二つの考え方を常に保持しているという場合もあれば、「両頭画図なり」、人間の頭の中で考えられた思想も、それから感覚的な刺激として受け取られたところの物質の世界も、いずれも画にかいたような実態のない存在である。そういう意味で「両頭画図なり」、心とか古仏とかいってみても、どんな様子をしているかというふうなことが問題であるし、二つの要素が一つに重なった現実の姿そのものが非常に大きな意味を持っている。

 こういう形で古仏心というものがどういうものかということを実例を例に挙げながら解説をしておられるわけであります。

 

 まだその解説が残っているわけでありますが、時間のほうが近づきましたので、ここで話のほうをとめまして、またご質問を受けるということにしたいと思います。何かありましたらどうぞ。

 

 仏教の教えを勉強しておりますと、「ああ、これが本当の教えだな」ということを感じますし、「これ以外に本当の教えはないな」という印象も持つわけであります。

 だからそういうたった一つの教えが人類社会に広まっていきますと、人類社会がもう少しまともな社会になるという可能性は十分残されているわけであります。

 人間というものはいろいろな考え方を受け入れて信ずるという傾向がありますから、この世の中にも現にいろんな考え方があって、各人がそれを信じている。

 ただ、人類というものはけっして劣った性質の存在ではありませんから、長い時間をかけてはいますけれども、少しずつ真実に近づきつつある。

 そういう点では、そういう真実に近づくという点で、欧米の考え方も非常に役に立っている。頭で問題を勉強する態度としては、欧米で育った文化というものは非常に大きな価値を持っている。だからそういう優れた価値の文化を中心にして世界がだんだん一つにまとまり始めているわけでありますが、そのときに最終の教えが何かという場合に、やはり釈尊のお説きになった教えが中心だという見方ができるわけであります。

 ただ、今日のところ、仏教そのものが本当の意味で理解されているかどうかというところに疑問がありまして、そういう点では、仏教を勉強するに当たっても、理論的にごまかすというふうな態度ではなしに、あくまでも真実を掘り下げていくという努力が必要であります。

 その点では、人間が死んだ場合に魂が生き残るかどうかという問題についても、道元禅師が『正法眼蔵』の「弁道話」の中で、釈尊の教えというものは心と体とが切り離せない考え方だ、だから肉体が滅びたときに魂がその肉体から離れて別の世界に生まれ変わるという考え方は仏教思想ではない、仏教が盛んになる以前に説かれていたバラモンの教えの考え方であるという主張をしていることが、生き死にの問題についてどう考えるかということについての本当のとらえ方に関係してくるわけであります。

 そういう点で、仏教の勉強というものは、坐禅の修行が大事であると同時に、理論的に詰めることも大事だという問題を抱えているということが実情だというふうに見ることができます。

 宗教の立場からは、理屈でないものを宗教に求めて、それが救いになるんだという考え方もありますが、釈尊の教えというのは、理論的なものも含めて真実があるという事情から、真実というものもさまざまな角度から徹底的に勉強しないと本当のものがわかってこないと、こういう主張をしているわけであります。

 仏教にもいろいろな考え方がありますが、その中でも特にものを考える場合に四段階の考え方で考えていくという方法が釈尊がお気づきになった方法ではありますが、その考え方は欧米のように心と物とが二つに分かれている文明を一つにまとめるためには非常に大きな意味を持っているという事情があるということがいえるわけでありまして、その問題が二十世紀、二十一世紀にかけてどんどんたった一つの方向に進みつつあるということが実情でありますから、生き死にの問題についても、誰もが納得できるような考え方の時代がこなければならないというふうに考えております。

 現にイラクあたりで爆弾を仕掛けて、その爆弾で自分も死ぬわけでありますが、それと同時にたくさんの人々の生命を奪うというふうな方法の戦いがたぶん行われているわけであります。そういう自分で爆弾を仕掛けて自分も死ぬけれども、死んだ後、神の近くに行って非常に恵まれた生活ができるというふうな信仰を持って動いている国民は実に気の毒だと思う、悲惨だと思う。本当のことがわからずに、自分の生命を犠牲にして、善いことをやったようなつもりになって、生命が終わりになるというふうな状況というものは、あまりにもみじめだし、あまりにも悲惨であるけれども、そのみじめであり、悲惨であることに気がついていない文化というものもあって、そういう点で地球上の思想問題もはたで考えるほど問題が簡単にはなっていないという事情も現に存在するということを考えざるを得ないということが、われわれの日常生活の中にも含まれているということがいえます。

 だからそういう問題に関しても、これならば信用することができる、受け入れることができるというふうな考え方を勉強して、たった一つの疑問の余地のない考え方に進んでいくということが、われわれが人間として生きる上でも非常に大事な要素を持っているというふうな見方ができようかと思うわけであります。

   先生がさっき飛ばされたかと思うんですが、最初の五五ページの四行目のところに、「南嶽のとき青原あり」とか、「石頭のとき江西あり」とか、同時代にそういう人たちがいたということがあるんですが、その後、「あひ罜礙せざるは」、その人々がお互いに邪魔し合わないのは、「不礙にあらざるべし」という、ここはどういうふうにとらえたらよろしいんでしょうか。

   お互いに関係はあったけれども、相互に邪魔することはなかったと、こういう意味です。「不礙にあらず」というのは、お互いに接触がない、意見の違いがないということではなかったけれども、その意見の違いがお互いに邪魔をし合うということがなかったと、こういう意味になります。

 だから青原行思禅師と南嶽懐譲禅師との考え方にも、説き方の違いはあったけれども、お互いが意見が違うということで争って邪魔をし合うということがなかった。その点では、石頭希遷禅師と江西と呼ばれる馬祖道一禅師も、考え方の違い、説明の仕方の違いはあったけれども、お互いに邪魔をし合って争うという形ではなかったと、そういう意味になります。

   やっぱり優れたそういう二人の方がいらしたということをいおうとしているわけですね。

   そうです。だから考え方、説き方については違いがあったけれども、お互いが真実の内容を持っていたから、特別にぶつかり合って喧嘩になるというようなことはなかったと、こういう意味です。

   はい、わかりました。

   先ほど、テレビの取材で、霊魂はないということでお話になったと。それについて、マスコミはそれを忌避したような印象を受けたと。

 それと、福知山線で百名以上の方が亡くなって、あそこのマンションの方々がもうあそこには住んでいられないと、要するに一つの霊魂ですかね、そういうものがいるんじゃないかというような、そういうものもあるという背景があって、あの方たちが全部出たし、それについてJRのほうも認識をして、あそこは鎮魂の場所にしようというような話も聞くんですが、その辺についてどう思われますか。

   だからそういう習慣が社会にあるし、そういう考え方も社会に根強く残っているということは事実だと思います。ただ、そういうものも、まあどっちかわからないけど、そっとしておこうという態度よりは、どっちかが本当なのかということを究明する必要があるというふうなこともいえるというのが私の見方です。

 だからそういう点では、もうわかりっこないんだから考えるのはやめよう、議論はやめようという態度でなしに、何が本当かということを詰めていかないと、本当の教えというのは出て来ないということがあると思います。

 問  そのテレビ朝日が忌避したという理由はどういうところに……。

   いや、その点では、テレビ朝日がどうこうということではないんですけれども、私の推察からすると、その問題について非常にはっきりと主張したから、恐らくそれが問題になったんだろうという想像がつくというだけのことです。

   じゃ放映される予定は、いまのところどうでしょうか。

   なくなったんじゃないかな。恐らくそうだと思う。

   それで私もちょっと不思議に思うんですけれども、日本という国はあらゆる思想、そういったものをすべて受け入れて、そこに私はすごく日本の良さがあるんじゃないかなあと思っていたんですけれども、そういうのを見ると、また、そういう面では結構保守的なのかなあ、あるいは日本の仏教のあり方が先生の思想とあまりにも違うか……。

 それはちょっと考えられないですね。先生のおっしゃっている霊魂の否定、それが日本全体に及ぼす影響が大きいと考えたから、それを取りやめたか……。

   だからその点ではね、仏教は「物心一如」の考え方だから、体が死んだときに魂が抜け出して別に生まれるという考え方は間違いだという記述は、道元禅師の『正法眼蔵』の中にはっきりあるんです。だけども、一般社会としてそれを受け入れるということについては抵抗があって、やっぱり亡くなった方も霊魂があって、それをお祀りすることに意味があるんだという社会慣習があるから、道元禅師がお説きになっている教えが日本の実社会ではすぐには受け入れられなかったということが実情で、そういうものの考え方における妥協というか、最後の最後まで詰めないという考え方はどこの文化の中にもあるんだと思います。

 たからその点で、そういう傾向が強いか強くないかということで、そういう傾向の強い文化というのは進歩が遅れるんだと思います。だからそういうものについて厳密に問題を考えて、正しい理論で割り切っていく文化のほうが先に進む。で、先に進んだ文化と遅れた文化と戦争すると、先に進んだ文化のほうが勝つというのが世界の歴史だから、そういう点で人間社会の歴史が何千年もにわたって続いているということがあると思います。

 だから私などは正直いうと、第二次世界大戦の日本というものについても、やはり負けるべくして負けたというふうな歴史的事情があると思います。その代わり、それによって日本の国は世界の文化の流れの中に入って行った。だからそういう点では、敗戦というものが日本を一歩前進させたという面もあるというふうに私は見ています。

   先生、もし失礼だったらお許しいただきたいんですけど、そういうふうにして放送するからということで先生がインタビューを受けられて、そしてそれがボツになったということを、なぜそれがボツになったかということを、私だったら食い下がって聞くと思うんですが、なぜ先生はそれをなさらなかったんですか。

   いや、私は世の中というのはそういうものだと思っているから。

   先生、そのボツになるというのは、テレビ朝日どうこうというのはよくわからないんですけど、先日の対談したやつは、絶対そんなことはないんですよね。

   だからその点では、予定される時間に今度放映されなかったということですから、先にありうるかもしれないというようなことでは……。

   そういっていましたか。

   いやいや。だからその点では、「この時間に」というふうな連絡を、そのとき予定として聞きましたが、それが実現していないということは、何か支障があったのかなと思っています。

   いや、たぶんそれは違う。番組編成の問題であって、テレビ朝日は別に関係ないんですよね、そのチャンネル全体だと思いますけど。

   うん。だからその点では、どうなるかまあ様子を見て、待っているということです。

   僕も確認していないですけれど、その局をつくった男が、いまの日本の、そういういえないことをいわないという、こういう事情はよくないということを常々いっていまして、それで僕が間に入って先生と……。

   いや、ですから恐らくまだ可能性として残っているということも十分考えられます。

   いや、先生には引き続きずうっとお話をやってもらいたいようなことをいっていたんですけどね。ただ、時期がもうちょっと後半になるかもわからないんですが、それは、あの対談をして、先生のような方がいらっしゃったということを非常に喜んでいましたから、そんな上からの圧力で屈するようなあれではないと思いますけど。

   はいはい。ですからまだどうなっているか断定的なことをいえないというのは事実です。

   ちょっと戻りますけど、そのときに、私みたいに単細胞だと、どうして録画したのに放映されないんだと。これは約束が破られたわけですよね。そういうことをグズグズいうのは、やっぱり幼稚なんですか。現実を見ていないというか……。

   う〜ん、私はやらないな。やっぱり古ダヌキだから。(笑)「世の中はそういうものだ」「ああ、そうですか」というようなことで、時間をそのまま過ごすという感じだなあ。「なぜやらないんだ」なんていって行くほど、もう若くないね、正直いって。

   えーッ、先生、若い、若くないはともかく、その「古ダヌキ」というのはどういう意味なんですか。いい意味ですか。(笑)先生はときどき、「古ダヌキ」といって逃げるんですか、それとも……。

   いや、逃げるんじゃなくて、古ダヌキのほうが正しいと思っている。

   それが仏道に即した行動なんでしょうか。

   いや。だから「いまはこうだけども、あしたはわからない」というようなことでもあるわけ。

   ああ、そうですか。その「古ダヌキ」というのはじゃあ……。

   いや、「古ダヌキ」というのは、結局ね、まあ二面的な見方をするということだな。で、仏教は二面的な見方をするんですよ。

   じゃすごいあれじゃないですか、ごまかしというか、ズルイ……。(笑)

   いやいや。この世の中には必ず二つの要素があるから、それを一つの要素を選んで議論をすると、現実と食い違うんです。だから「こうあるべきだ」「あああるべきだ」という考え方を持っていると、現実のほかの面を見落としちゃうわけです。

   じゃ、こういうふうにいっておいてみて、ちょっと相手の様子を見ながら、「あ、ちょっと違う」とこっちへと、こういうふうなのもありうるというふうに、常に自分を防御するわけですね。

   防御というより、一面的なものの弱さを知っていることだ。一面的な考え方というのは弱いんですよ、現実に合わないんです。

 だからそういう点では、両方の面を知っていると、現実に適合しやすいという問題があると思います。

 だからたとえば靖国神社を参拝したことで中国から非難を受けたと。そのときに、やっぱり国益に反するから靖国神社参拝を自粛したほうがいいという考え方のほうが私は一面的だと思う。国際関係というのはそんなものじゃないから、やっぱりある程度頑張ることによって国際関係が成り立つということもあるわけだから、悪いといわれたら、ハイ、サヨウナラで引っ込むということだけが外交ではないと。

 だからはたから見て強がりに見えるような形でも、頑張るべきところは頑張るべきだという点で、私なんかは、靖国神社の参拝をしながら、国内問題だから国内にまかせておいてくれということで筋が通っているんだと思います。

   そうすると、その約束がどうとかじゃなくて、現実がそこにやって来たから、もうそれは古ダヌキで、少しヘラヘラというか、「もう来たんだから、これは仕方がないんだ」ということをどこかで受けとめるよりしようがないんですか。

   うん、そう。だからそういう点では、現実のほうが基準なんです。頭の中でこうあるべきだ、あああるべきだということよりも、現実がどうなっているかということがわれわれの行く一つの基準なんです。

   そうすると、物事に「あの人はやることに筋が通っている」とか、よくそういう言い方をしますよね。そういうこともあんまり意味がないということですか。

   いや、そうじゃなくて、筋が通っているということは、現実に合わせて適合できるということでもあるわけです。

   えーッ、先生、それは違う……。常に現実、その瞬間瞬間に変わるわけですよね。瞬間瞬間はとどまるところなく、常に変化していくものなんですけれども、その都度その現実に合わせていくと、その人の筋というものがないわけですよね。常に変わっていきますから。

   というよりも、歴史に忠実に生きていくということ。だから自分の考え方がないわけじゃないけれども、自分の考え方をこの歴史的な事情の中ではどう対処するという、その場その場での決断があるわけです。

   ですから、その場その場の決断はありますけれども、一貫性がないこともありうるじゃないですか。常に現実は変わりうるものですから。

   うん。だからそういう点では、一つの流れというものに対する信仰はあるわけです。だから私は世界の歴史は人間主義の流れだから、人間主義に逆らう考え方が劣った考え方であって、人間主義を貫いていく考え方が正しい考え方だという見方をしています。

 だからそうしてみると、第二次世界大戦のときに日本国がやったことも、いいことばかりはなかった。人道的に非常におかしなことも幾らもあったという歴史的な事実を認めたほうが正しいと思う。

 問  『正法眼蔵』の中にもやっぱり古ダヌキでいったほうがいいよというようなことが書いてありますか。

   う〜ん、そうだね、そういう点では、それに該当するものというのは、やっぱり「柔軟心(にゅうなんしん)」なんてことをいうよね。道元禅師が中国から帰って来たときに、「何を勉強してきたか」という質問を受けたら、「いやあ、特別のことは勉強してこなかった。強いていえば、やわらかい心を勉強してきたかな」という、「柔軟心」という言葉があるんです。だからそういう考え方と仏教思想とは密接に関連しているんです。

 だから普通、固定的な考えを持つと、「この方向が正しいんだ」と思って頑張るわけ。で、この方向が正しくないときでも「これでいいんだ、これでいいんだ」といって頑張るから、破滅があるんです。

 だけど、一般の人々は、(笏をやや右に傾けて)こういうのが正しいと思ったり、(笏をやや左に傾けて)こういうのが正しいと思ったりするけれども、現実というのは、(笏を真っすぐに立てて)こういう形で受けとめて行動しなさいというのが仏教の教えだという見方ができます。

   そうするとあまり怒りみたいなものは起きてきませんよね。

   え?

   そういう「古ダヌキ」という表現はどうかわかりませんけど、そういう柔軟な気持ちというものを持っていれば、貪・瞋・痴の怒りというものはあまり起きてこないですね。

   起きてこない。だから貪・瞋・痴というのを三毒として排斥するのはそれなんです。腹を立てたら正しい判断ができないんです。欲張りの気持ちがあっても正しい判断ができないんです。愚痴を持っていても正しい判断ができない。だから貪・瞋・痴という三つの極端な状態を避けなさいというのが仏教の基本思想の中にあるわけです。

 そういう柔軟性がどこから出て来るかというと、やはり自律神経のバランスなんです。だから自律神経のバランスという基準を持てば仏教哲学の全部がわかるし、それがないと仏教哲学の全部がわからないという事情があるように思います。

   先生、テレビ朝日のやつは、当初は何時に何という番組で放映される予定だったんですか。

   そのとき聞いてきたのは、二十五日の一時からと、七時からと、二回という話をちょっと聞いて、「ああ、そうですか」といって帰って来た記憶がある。

   それはテレビ朝日じゃないんですよね。サクラチャンネルという契約しているテレビなんですよ。

   だからテレビ朝日にあの会社が売ったんじゃないですか。

   いや、そうじゃなくて、あそこは制作会社じゃなくて、自分の局でつくって、自分のところで放送しているんです。ですから契約をしないとその番組が見れないんですよ。そういうシステムになっている。衛星テレビのスカイパークですか、僕はよくわからないんですけど。だからテレビ朝日はぜんぜん関係ないんです。 だからそれは必ず放送されますし。

 もっといえば、そこの社長が先生のあれはもっとみんなに聞かせてあげたいからということで、インターネットで動画を考えているんです。そうすると、契約のテレビだと、いまのところ一万人ちょっとなんですけど、行く行くは十万人ぐらいになると思いますが、結局限られちゃうものですから、まあ堀江なんかもやっているのと同じことか僕もそういうあれはよくわからないんですが、インターネットの動画にあれすると、インターネットでタダで見れるということで、たぶんそういうふうな方向にやってくれると思っているんですけど。

   ああ、そうですか。だから、話が進んでいるということですから、私も待っているというだけのことです。

   それで引き続き先生にはもっとずっとお話をしていただきたいといっていましたから、それは大丈夫だと思います。

 

 それでは、時間がきたようですから、普回向を唱えて終わりにしたいと思います。

普回向 唱和